ジェームズ・アンソール展  James Ensor

●アントワープ王立美術館所蔵
ジェームズ・アンソール
ー写実と幻想の系譜ー




ジェームズ・アンソールJames Ensor1860年4月13日 - 1949年11月19日)は、19世紀20世紀ベルギー画家
近代ベルギーを代表する画家の一人。1860年、北海沿岸の海岸リゾート地であるオーステンデ(オステンド)に生まれた。1877年に首都ブリュッセルの王立絵画アカデミーに入学し、1880年に帰郷するが、この3年間を除いて、長い生涯のほとんどをオーステンデで過ごした。
オーステンデのアンソールの両親の家は、観光客相手の土産物店を営んでおり、貝殻、民芸品、カーニバルの仮面などを商っていた。カーニバルの仮面が、後に画家としてのアンソールの重要なモチーフとなったことはよく知られる。
ブリュッセル  1888頃
海辺の着替小屋 1876
花と野菜 1896
アンソールは初期には原色を多用した独特の色づかいによる室内情景や静物画などを描いていた。彼の絵に仮面のモチーフが現れるのは1883年の『人騒がせな仮面』(日本語題は『不面目な仮面』とも)からで、以後の彼の作品中の人物は、大部分が仮面をつけている(または仮面がそのまま顔と化している)ように見え、絵を見るわれわれを嘲笑しているようである。(WIKI部分)







陰謀 1890(部分)
絵を描く骸骨 1896(部分)
仮面の中の自画像 1899(部分) 非展示


●14世紀から15世紀のあいだ、ヨ-ロッパにおいて骸骨を
描いた表現が多く生み出された。
それらは「死の舞踏」と呼ばれ、陽気に踊る骸骨の姿で表現され、
時に意気消沈する人間も組み合わされていた。

18世紀末イギリスにおけるホラー小説の文学的流行
1838フランツ・リスト 「死の舞踏」作曲
この傾向は19世紀末に頂点を迎えた。
アンソールがこの流行を代表する人物の一人であったことは
疑いの余地がない。(パンフより)

●画風変化の動機を知りたいと思いました。
解説映像をみていますと、上記理由とあわせて
アルコール中毒により道端で死体で発見された
父親のイメージを骸骨に写しこんだような
ことも述べられていました。


インパクトのある作品群でした!
(1899ウイーンのアルベルティーナ版画素描館
アンソールのエッチング100点を購入する)






●ところで骸骨はいまも生きているモチーフですね!
ファッション系アイテムなどでよく見かけます!

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