大田垣蓮月尼展 Otagaki Rengetsu

●小雨のなか南禅寺下の
野村美術館です。





蓮月展は、直感で見逃してはいけないと思いました。







訪れてみると

そこには

余人をもってはかえがたい

たおやかな宇宙

がひろがっていました!







●春雨



つれづれと

さびしきものの

うれしきは

花まつやどの

春雨のころ


蓮月



あまのかるも 【海人の刈藻】







●すべての作品はジョン・ウォーカー氏と
ガブリエレ・ハード博士が集めた
水馬コレクションから選ばれたものです。

「京都で30年以上開かれなかった大田垣蓮月尼展を
開催でき、無上の喜びです」と
ウォーカー氏はコメントしています。(パンフより)







大田垣 蓮月(おおたがき れんげつ、寛政3年1月8日1791年2月10日) - 明治8年(1875年12月10日)は、江戸時代後期の尼僧・歌人陶芸家。俗名は誠(のぶ)。菩薩尼、陰徳尼とも称した。

生後10日にして京都知恩院門跡に勤仕する大田垣光古(もとは山崎常右衛門)の養女となった。養父の光古は因幡国出身で、誠を引き取った当時は知恩院勤仕といえども不安定な立場にあったが、同年8月には知恩院の譜代に任じられ、門跡の坊官として世襲が許される身分となった。太田垣氏は室町時代に因幡・但馬で栄えた山名氏の重臣の子孫である。京都の生まれ。
実父は伊賀国上野の城代家老藤堂良聖

生母は誠を出産して後に、丹波亀山藩の藩士の妻となった。この生母の結婚が縁で、寛政10年(1798年)頃より丹波亀山城にて御殿奉公を勤め、10年ほど亀山で暮らした。(WIKI)











蓮月焼(れんげつやき)は江戸時代後期の尼僧、
大田垣蓮月が自詠の和歌を釘掘りで刻んだ陶器。(WIKI)



をかさきの

さとのねさめに

聞ゆなり

きたしらかわの

山ほととぎす



In  Okazaki  Village

just  awaked

by the song

of  a little cuckoo

of  Kitashirkawa


  





野村美術館

Rengetsu, “Lotus Moon.”

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