涼のうつわ 伊万里焼の水模様
●戸栗美術館は、
松濤美術館のすぐお隣です。
はじめて訪れました。
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伊万里焼
中国では紀元前から原初的な磁器が製造され、後漢時代(西暦25年 - 220年)には本格的な磁器が焼かれていたが、日本では中世までのやきものは陶器であり、磁器は輸入品に頼っていた。日本で初めて国産磁器の製造が開始されたのは17世紀、有田(佐賀県有田町)においてであった。
伊万里焼の文献上の初出は寛永15年(1638年)の『毛吹草』(松江重頼)である。同書に「唐津今利の焼物」とあり、唐津は土もの(陶器)、今利(伊万里)は石もの(磁器)を指すと考えられている。有田、波佐見などの肥前の磁器は、近世には主な積み出し港の名から「伊万里焼」と呼ばれた(近世には「今利」「今里」とも書かれることが多かった)。有田地区の製品を「有田焼」、伊万里地区の製品を「伊万里焼」と呼び分けるようになったのは、近代以降、船に変わって鉄道が輸送の主力となってからのことである。研究者はいわゆる「伊万里焼」を「肥前磁器」と呼ぶことも多い。 伊万里とは「万里を渡り伊太利へ」当時中央ヨーロッパは神聖ローマ帝国を盟主としていた。蓋のついた壷には花柄(生薬)がついている。牡丹が多い。それは牡丹ピといって其の根の皮は消炎鎮痛の基剤だ。化学薬品ができる前は欧州人にとって貴重な医薬品だった。磁器の壺は蓋で密封され中身はインド洋の熱気にも耐えヨーロッパに送られ壷共々金1gより高い価格で取引された。中身は飲み干され今その入れ物が残っているわけだ。(WIKI)
多様な水模様が紹介されていました。
色絵 牡丹文 変形皿 鍋島 江戸時代 17c後半
色絵 弓破魔皿 伊万里 江戸時代 17c末~18c初
染付 魚形皿 伊万里 江戸時代 17c中期
旧鍋島藩屋敷跡地
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