若冲と蕪村    Jakuchu and Buson  

●生誕300年
同い年の天才絵師

サントリー美術館です。










正徳6年(1716)は、尾形光琳(おがたこうりん)が亡くなり、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)と与謝蕪村(よさぶそん)というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士(こじ)」の号を与えられ、
40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。

一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。(HP)


六本木:東京ミッドタウン ガレリア3F





















伊藤 若冲 (1800年)
いとう じゃくちゅう
江戸時代 寛政7年/1795年
紙本墨画 六曲一双
H-159.4 W-354

北陸の旧家に伝わったもので、2008年夏に存在が知られた。六曲一双の左右に、勢いよく潮を吹く鯨と、うずくまって鼻を高々とあげた象とを対置させた水墨画。海の王者と陸の王者とがエールを交換しているような情景は、奇抜さを特色とする若冲の絵の中でも他に例をみない。同様な図柄の屏風が昭和初めのオークションに出たことが知られているが、この方は現在行方がわからない。

優しい目つきをした、大きな縫いぐるみのような象の体、後ろの崖から伸びた牡丹の花が、優しく背を撫でている。外隈で表された輪郭線のない鼻は、まるで玩具の「吹き戻し」のようだ。一方、黒々とした鯨の胴は雄大で、潮吹きの勢いがすばらしい。波頭の描き方も独特である。

署名は各隻に「米斗翁八十二歳画」とあり、「藤女鈞印」(白文方印)、「若冲居士」(朱文円印)を捺す。改元一歳加算説に従うと、八十歳の作。老いて童心をますます強めた若冲の動物愛が、見るものの心を和ませる。(文化遺産オンラン)










象に鯨図屏風
●この屏風が初公開された2009年秋に、
Miho museum
を訪ねたことをよく覚えています。

象と鯨は見つめ合っているのか?
という私の質問に
鯨の目は水面にあらわれていないと
学芸員の方から伺いました。



あいかわらずおおらかさにあふれています。


乗興舟:若冲  1767  (部分)


拓版画

 伊藤若冲が相国寺の大典和尚と淀川下りをした折りの感興を絵画化したもの。ふつうの版画とは異なり、拓本をとるようにして作ったもので、当時としては知的でハイカラな感じがした。(文化遺産オンライン)



























月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也(芭蕉)

奥の細道画巻:旅立ち




●大阪・池田の逸翁美術館で2010年公開されたときに、
部分的にであっています。

蕪村の書も味わい深いですね!







鳶鴉図


部分

●若冲と蕪村、同時に生まれて近くで生活しても
交流した気配は感じられないと解説文にありました。
(手紙の文面におたがいの名前があらわれることはない)

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