光悦展:KOUETU
●本阿弥光悦、 永禄 元年( 1558年 ) - 寛永 14年 2月3日 ( 1637年 2月27日 ))は、 江戸時代 初期の 書家 、 陶芸家 、 芸術家 。 書 は 寛永の三筆 の一人と称され、 その 書流 は 光悦流 の祖と仰がれる。(WIKI) ●五島美術館の光悦展です。 熱心なビジターで、あふれていました。 書・陶芸・漆芸に優れ、嵯峨本などの 出版に関与したとされ、 その多才ぶりから江戸時代最大の芸術家と言われてきた。(パンフ) 出展リスト中に、光悦ゆかりの光悦寺・本法寺をみつけ、 むかし訪ねた思い出がよみがえりました。 庭園 色紙帖 薄に月図 本阿弥光悦筆 伝 俵谷宗達下絵 竹図 群鶴図 光悦赤楽茶碗 銘 十王 17C 光悦黒楽茶碗 銘 七里 17C 光悦寺 鷹峰三山 (鷹ヶ峰、鷲ヶ峰、天ヶ峰)を望む景勝地である。 江戸時代 の 芸術家 である 本阿弥光悦 に 元和 元年( 1615年 )に 徳川家康 がこの地を与えた。『本阿弥行状記』によれば、当時は「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったという。この地に光悦の一族や様々な 工芸 の職人らが移り住み芸術の集落となった。光悦の死後に屋敷は寺となり、境内には光悦の墓碑がある。(WIKI) 2011