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葬送の曲

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●私の敬愛するSさんが亡くなられました。 2014・02・14 朝 ご自分で葬送の曲は決められていたようです。 これをエンドレスで! ベートーベンの交響曲第五番  第二楽章が レクイエムとされていることは、 私の知識にはありませんでした。 ・・・・・第二楽章が一種の レクイエムとして 単独で演奏されることもまれにあり・・・(WIKI) 2004・3・25 10年前に、おくっていただいた絵ハガキです。 今年もまた、中欧(プラハとブダペスト)に 音楽を聴きにきてしまいました。 プラハではヤナーチェク、ここブダペストでは コダーイにバルトーク、そして ヴェルディのレクイエムなどを聴きます。(一部抜粋) 楽しそうですね! 笑顔が目に浮かびます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Sさん・・・天上の音楽は涼やかに響いていますか? ‎

シャガール展

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●5月個展の準備に静岡市にでかけました。 打ち合わせまでに時間があったので、 駅前の静岡市美術館でシャガール展にはいりました。 シャガールはいろいろな美術館で、 散見しましたし、オペラ座の天井画もみました。 まるで、よく知っているかのごとくの認識でした。 しかしそれは勘違いで、シャガールについて 何もしらなかったことが解りました。 陶器・ガラス画・ステンドグラス・舞台装飾衣裳 はじめて見たものばかりでした! 素晴らしい世界がひろがっていました! 1887年7月7日、 帝政ロシア 領 ヴィテブスク (現 ベラルーシ ・ ヴィツェプスク 、 Vycebsk またはWitebsk、 Vitebsk ) 父 ザハール、 母 フェイガ・イタの元に9人 兄弟 の 長男 、 モイシェ・セガル ( Moishe Segal 、משה סג"ל)として生まれた。ロシア名 マルク・ザハロヴィチ・シャガル  ( ロシア語 :  Мойшe Захарович Шагалов )、ベラルーシ名 モイシャ・ザハラヴィチ・シャガラウ  ( ベラルーシ語 :  Марк Захаравiч Шагал )、後にパリでマルクと名乗るようになる。故郷ヴィテブスクは人口の大部分を ユダヤ人 が占めている シュテットル で、シャガール自身もユダヤ系( 東欧系ユダヤ人 )である。 生涯、妻ベラ(ベラ・ローゼンフェルト)を一途に敬愛していたこと、 ベラへの愛や結婚をテーマとした作品を多く製作していることから 別名「 愛の画家 」と呼ばれる。(WIKI) マルク・シャガール ( Marc Chagall ,  イディッシュ語 :  מאַרק שאַגאַל‎ ‎,  1887年 7月7日  -  1985年 3月28日 )は、 20世紀 の ロシア (現 ベラルーシ )出身の フランス の 画家 。(WIKI)  オペラ座天井画のための最終下絵 ダフニスとクロエ 舞台背景画の最終下絵 同上 ガラス絵 陶器 緑の山羊

Christian Bonnefoi  クリスチャン・ボヌフォワ展

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●[こんな絵すきでしょ!]と、 ある方からすすめられて、 銀座 maison  hermes に行ってきました。 そのとうりです! 支持体がとても薄い紙などで、 透明感があります。 どこにもない、 Fragileなところが とても素敵です! おすすめです!  Dos Eureka

茶道具取合せ展

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●冬の五島美術館です。 ユニークな形の道具ばかりで、 楽しい展示です。 [へいげもの]の世界を、 少しのぞいた気がしました。 叭々鳥図  伝  牧谿筆  (ハッカチョウ) 古伊賀水指  銘 破袋  17c 赤絵金襴手瓢型花生  明時代  16c 芦屋真形霰地紋釜  室町時代中期 15c

Come Rain or Come Shine

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●ひさしぶりに3悪友プラスワンで ジャズライブハウス 代々木:ナル に出没しました。 50年ほどの歴史のあるお店なのだそうですが、 私ははじめてでした。 旧交をあたため、楽しい一夜でした。 やはりライブは良いものですね! 芦屋のLEFT ALONEなどと 誰かが叫んででいました! vo国貞雅子   p清水絵理子  g平岡遊一郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勝井三雄展  兆しのデザイン

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勝井三雄展 兆しのデザイン 2014年01月09日(木)~2014年01月31日(金) ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)の2014年の幕開け、1月展は「勝井三雄展 兆しのデザイン」を開催いたします。 デジタル技術など最新のテクノロジーやメディアを取り込みつつ、半世紀以上にわたり常にグラフィックデザイン界に新たな領域を切り拓いてきた勝井三雄氏。ポスター、エディトリアル、シンボルマークなどのデザインをはじめ、数々の万博にアートディレクターとして参加するなど、様々なイベントの企画や演出と、多様なジャンルでの活動を続けています。 今回の展示では、勝井氏の創造活動を語る上で重要な位置を占めるであろうエディトリアルワーク、厳選した珠玉の約100作品に加え、主要なポスター作品も紹介。一階ではポスターデザインと連動した、実験精神に溢れる新たな映像作品も展示する予定です。(HP) オープニングにうかがいました。 会場はとてもたくさんの方々で一杯でした。 華 1993 PLEATS  PLEASE 1997 AGI-JAPAN 2006 クリスマスの名残り

板谷波山 Itaya  Hazan  没後50年・大回顧展

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●出光美術館です。 板谷 波山 (いたや はざん、 1872年 4月10日 〈 明治 5年 3月3日 〉 -  1963年 〈 昭和 38年〉 10月10日 )は、 明治後期から昭和中期にかけて活動した 日本 の 陶芸家 。本名は 板谷 嘉七 (いたや かしち)。 号 は、始め「 勤川 」、のち「 波山 」。「勤川」は故郷を流れる 五行川 の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」に、 「波山」は故郷の 名山 である「 筑波山 」に因む。 葆光彩磁草花文花瓶 1917 器物図集 花果粉本  1936 ●「命乞い」というとても素晴らしい窯変天目をみることができました。 写真ではあらわせない、味わい深い赤なのです。 割られなくて良かったと思います! 天目茶碗 銘 命乞い 板谷波山 昭和19年(1944) 口径12.2cm 作品解説 大正後期より茶道具に取り組んだ板谷波山は、中国南宋時代の天目茶碗など、厳しく美しい形と、気品ある釉色を追求した。本作は辰砂釉(しんしゃゆう)が窯の中で窯変し、紅色を基調とした、夢幻的な色あいをみせている。波山による箱書がないのは、焼き上がった茶碗が、完璧を求める波山の意に添わなかったためである。窯出しの際に、まさに割られようとしているところを、出光佐三が「命乞い」して求めた。箱書は佐三自身が記している。