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軽井沢プリンスホテル:WEST

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●朝食前の散歩です。  エントランス 6:00amころ

北斎館

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葛 飾 北斎 (かつしか ほくさい、 葛 飾 北齋 [1] 、 宝暦 10年 9月23日 ( 1760年 10月31日 )? -  嘉永 2年 4月18日 ( 1849年 5月10日 ))とは、 江戸時代 後期の 浮世絵師 。 化政文化 を代表する一人。 天保 13年( 1842年 ) 秋、初めて、 信濃国 高井郡 小布施 の 高井鴻山 邸を訪ねた この時、鴻山は、自宅に碧漪軒(へきいけん)を建てて、北斎を厚遇した。 天保15年( 1844年 )  信濃国 は 高井郡 小布施 に旅し、嘉永元年( 1848年 )まで滞在。 『怒涛図』などを描く 。(WIKI) ●小布施と北斎のかかわりは、 こちらにきてからわかりました。 ●祭屋台天上  龍図 鳳凰図 波濤図 男波 女波 ・・・・・・・・・・・・・ 桔梗

小布施散歩:OBUSE  A  Town  of  Chestnuts  Hokusai  and  Flowers

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小布施町 (おぶせまち)は、 長野県 の北東に位置する 町 。 葛飾北斎 をはじめ、 歴史的遺産を活かしたまちづくりで人気を呼び、 今や北信濃地域有数の観光地として認知度も高くなっている。(WIKI) ●長野駅から長野電鉄で約30分、 小布施町にたちよりました。 小ぶりだけれども濃密な街並み空間が展開されていました。 魅力的なペーブメント ・・・・・・・・・・・・ 栗おこわ  栗ぜんざい

涼のうつわ   伊万里焼の水模様

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●戸栗美術館は、 松濤美術館のすぐお隣です。 はじめて訪れました。 伊万里焼 中国 では 紀元前 から原初的な磁器が製造され、 後漢 時代(西暦 25年  -  220年 )には本格的な磁器が焼かれていたが、 日本 では 中世 までのやきものは 陶器 であり、磁器は輸入品に頼っていた。日本で初めて国産磁器の製造が開始されたのは 17世紀 、有田(佐賀県有田町)においてであった。 伊万里焼の文献上の初出は 寛永 15年( 1638年 )の『 毛吹草 』(松江重頼)である。同書に「唐津今利の焼物」とあり、唐津は土もの(陶器)、今利(伊万里)は石もの(磁器)を指すと考えられている。有田、波佐見などの肥前の磁器は、 近世 には主な積み出し港の名から「伊万里焼」と呼ばれた(近世には「今利」「今里」とも書かれることが多かった)。有田地区の製品を「 有田焼 」、伊万里地区の製品を「 伊万里焼 」と呼び分けるようになったのは、 近代 以降、 船 に変わって 鉄道 が輸送の主力となってからのことである。研究者はいわゆる「伊万里焼」を「 肥前磁器 」と呼ぶことも多い。  伊万里とは「万里を渡り伊太利へ」当時中央ヨーロッパは神聖ローマ帝国を盟主としていた。蓋のついた壷には花柄(生薬)がついている。牡丹が多い。それは牡丹ピといって其の根の皮は消炎鎮痛の基剤だ。化学薬品ができる前は欧州人にとって貴重な医薬品だった。磁器の壺は蓋で密封され中身はインド洋の熱気にも耐えヨーロッパに送られ壷共々金1gより高い価格で取引された。中身は飲み干され今その入れ物が残っているわけだ。(WIKI)  多様な水模様が紹介されていました。  色絵 牡丹文  変形皿 鍋島  江戸時代 17c後半  色絵 弓破魔皿 伊万里 江戸時代 17c末~18c初 染付 魚形皿 伊万里 江戸時代  17c中期 旧鍋島藩屋敷跡地

藤井達吉の全貌

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●渋谷の松濤美術館です。 藤井 達吉 (ふじい たつきち、 1881年 6月6日  -  1964年 8月27日 )は、近代工芸の革新を志した 工芸家 、図案家。 愛知県 出身。戦後は愛知県 小原村 で 和紙 工芸を振興した。 2008年には 碧南市藤井達吉現代美術館 が開館した。(WIKI) 藤井達吉の全貌 野に咲く工芸 宙を見る絵画  薊図 左隻 大正後期 創作染織図案集 1933 藤井はあらゆる技術と材料を猟蒐しタブーを侵して混交し、 そのための発想と制作は一人の工芸家の手に統合されなければ ならないと考えました。 その活動は驚くほど広範囲で、 七宝、刺繍、染色、金工、木工、陶芸、手すき和紙など 工芸全般にわたり、さらには 日本画、墨画、油彩画、木版画、装丁などの 制作も多彩です。(パンフより) 大島風物図  右隻  大正5年 この雲のカタチ!  土星 1953  紙本着色 金箔 ●作品の広範囲なヴァリエーション、 ベースにある発想のしなやかさを感じました。

PHASE3展・・・・・はやすぎるお知らせ

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●2014年10月02日~10月06日 10:00~18:00(最終日 15:00) 泉の森会館 東京都狛江市元和泉1-8-12 TEL  03-5497-5444 デザイン&レイアウト 千葉一彦 高橋修二 佐方まさこ 小田急線 狛江駅 北口 出口左 竹林をこえたところです! ●皆さまおたちより下さい。 おまちしています。

デュフィ展:Raoul  Dufy

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●渋谷 文化村です。 2011年4月にパリのマルモッタン美術館で、 「 Raoul et Jean  Dufy 」 兄弟企画展に巡り合って以来です。 そのときにラウル・デュフィにはたくさんの兄弟がいて、 それぞれの分野で活躍したことを知りました。 Dufy には初夏が似合いますね ! ●初期の作品ははじめてみましたが、 とても魅力的でした。 ラウル・デュフィ ( Raoul Dufy ,  1877年 6月3日  -  1953年 3月23日 )は、 野獣派 に分類される、 19世紀 末から 20世紀 前半の フランス の 画家 。「色彩の魔術師」20世紀のフランスのパリを代表するフランス近代絵画家。 アンリ・マティス に感銘を受け彼らとともに 野獣派 (フォーヴィスム)の一員に数えられるが、その作風は他のフォーヴたちと違った独自の世界を築いている。デュフィの陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描の油絵と水彩絵は画面から音楽が聞こえるような感覚をもたらし、画題は多くの場合、音楽や海、馬や薔薇をモチーフとしてヨットのシーンやフランスの リビエラ のきらめく眺め、シックな関係者と音楽のイベントを描く。 また本の 挿絵 、 舞台美術 、多くの 織物 のテキスタイルデザイン、莫大な数の タペストリー 、 陶器 の装飾、『 VOGUE 』表紙などを手がけ多くのファッショナブルでカラフルな作品を残している。(WIKI) ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ1952 サン=タドレスの桟橋1902 トゥルーヴィルのポスター1906 サン=タドレスの浜辺1906 イェールの広場1927 ゲルマ袋小路のアトリエ1935/1952 果物鉢 1948 クロード・ドビュッシーへのオマージュ1952 黄色いコンソール1949