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Hodler:ホドラー展

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● フェルディナント・ホドラー ( Ferdinand Hodler 、 1853年 3月14日   -   1918年 5月19日 )は、 スイス の 画家 。 グスタフ・クリムト と並んで世紀末芸術の巨匠。同年代の芸術家が皆パリに出て活躍したのに対し、ホドラーは画家として認められてからは、最後までスイスで活躍し、孤高の画家と言われた。(WIKI) ●湖の連作がとても素敵です。 さわやかな空気が流れています。 あわいパープルが特に魅力的です! シェーブルから見たレマン湖  1905 白鳥のいるレマン湖とモンブラン  1918 早朝のレマン湖とモンブラン 1916 レマン湖とジュラ山脈 1908 トゥーン湖と ニーセン山 1910

Yotsuya Brewery

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●待ち合わせに、まだ45分あリます。 四谷はくわしくありませんので、とびこみではいりました。 ひとりのベルギー・ビールバー! すこし甘めの デ・コーニック これから、忘年会にむかいます! 2014・11・21 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トーベ・ヤンソン展

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● トーベ・マリカ・ヤンソン ( Tove Marika Jansson   [tuːve mariːka jɑːnsɔn] 、女性、 1914年 8月9日  -  2001年 6月27日 )は、 フィンランド の ヘルシンキ に生まれた スウェーデン系フィンランド人 の 画家 、小説家、 ファンタジー 作家、 児童文学 作家 である。(WIKI)  クルーヴハル島  模型 30年近く夏を過ごし、多くのムーミンシリーズを含む作品が生み出された バルト海 の クルーヴハル島  夏の家:再現 ●北欧の色なのでしょうか? 味わい深い油絵です! 青いヒヤシンス  1939 空襲警報が鳴る時 1940 トーロの漕艇場1940 風景 1940 窓辺の女性 1941 遊び「アウロラ小児科病院のための壁画習作」1956 ムーミンパパ海へゆく 挿絵  1965

ジョルジョ・デ・コリコ展:Giorgio de Chirico 変遷と回帰

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●シュルレアリストに賞賛されながら、突如スタイルを変え、その後再び自身の原点へ。  生気あふれるデ・キリコの創作の足どりを、未亡人の旧蔵品を中心に約100点の作品でたどる。 20世紀を代表する画家ジョルジョ・デ・キリコ(1888­–1978)。イタリア人の両親のもとギリシャで生まれたデ・キリコは、青年期をミュンヘンで過ごした後、パリで画家としてデビューします。彫像や建築物の影が伸びる人気の無い広場、そこに配されるマネキンや玩具。「形而上絵画」と称されるこうしたデ・キリコ独自の世界が描かれた作品は、目に見える日常の裏側に潜む神秘や謎を表現しようとしたもので、後のシュルレアリストたちに大きな影響を与えました。第一次世界大戦以後は、古典主義絵画への関心からその様式を大きく変え、伝統的な技法と題材で制作を続けます。しかし晩年は、再び形而上絵画に回帰し、絶えることのない創作意欲で、新たな形而上的主題に取り組むのです。 本展は、パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人イザベッラの旧蔵品を中心に、イタリアの美術館や個人のほか、日本国内の所蔵作品から、画家の各時代の代表作約100点を紹介します。謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気を持つ彼の作品の魅力に触れていただくことはもちろん、生気に満ちた70年もの彼の画業を通観する貴重な機会となっております。 (HP)  田園風景のなかの静物  黒い宝 ノートルダム 1962 ●「私の絵画を理解する人は、まだ2~3人しかいない!」 会場映像でのキリコの言葉です。 デペイズマン  (dépaysement) とは、 シュルレアリスム の手法の1つ。この言葉は、もともとは「異郷の地に送ること」というような意味であるが、意外な組み合わせをおこなうことによって、受け手を驚かせ、途方にくれさせるというものである。 文学 や 絵画 で用いられる。(WIKI) デペイズマンには聞き覚えがあります! www.depaysement267.com  不安を与えるミューズたち 1974  太陽の寺院 1971  噴水と邸宅の風景のある形而上的室内 1955  ビスケットのある形而上的室内 1968 オデッセウスの帰還

ウィレム・デ・クーニング展:Willem de Kooning

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●ブリジストン美術館です。 ●デ・クーニングは、 ジャクソン・ポロック と並ぶ「 アクション・ペインティング 」の代表的作家であり、抽象表現主義の創始者の一人として、20世紀美術史の上に重要な位置を占める。 ウィレム・デ・クーニング ( Willem de Kooning ,  1904年 4月24日  -  1997年 3月19日 )は、 20世紀 の オランダ 出身の 画家 。主に アメリカ で活動した。 抽象表現主義 の画家で、具象とも抽象ともつかない表現と激しい筆触が特色である。 1904年、オランダの ロッテルダム に生まれた。青年期は商業美術の会社で働くかたわら、ロッテルダム美術工業学校の夜学で学んだ。オランダ時代には モンドリアン らの「 デ・ステイル 」運動に接している。 1926年 渡米。以後、アメリカで活動する。1927年頃、 アルメニア から来た画家、 アーシル・ゴーキー と知り合い、影響を受けた。デ・クーニングは、1930年代半ばまでは、商業美術の仕事で生計を立てていた。また、 ポロック 、 マーク・ロスコ ら他の抽象画家たちとともに、WPA( 公共事業促進局 )の 連邦美術計画 の仕事にも携わった。連邦美術計画とは、 ニュー・ディール政策 の一環として、画家たちに公共建築の壁画の制作等を委嘱したものである。 1948年 、ニューヨークのイーガン画廊で初の個展を開催して、ノースカロライナの ブラック・マウンテン・カレッジ ( 英語版 ) で教えた。 デ・クーニングは、1940年代頃からは人物表現に関心を寄せ始める。1950年代初期から始まった「女」のシリーズがよく知られている。ポロックの「ドリッピング」(絵具をしたたらせる)絵画とは異なり、デ・クーニングの描く「女」はキャンバスに筆で描いたものであるが、感情のおもむくままに筆を走らせたように見える画面は、ほとんど抽象に近付いている。その後、画面から具体的なイメージを排した抽象的な作品を描いていた時期もあるが、1960年代後半から再び「女」のテーマに取り組んでいる。(WIKI) ●全体テーマが「Woman」です。 人物画から派生した抽象とは、いままで思ってもいませんでした。 多くの作品が紙にoilです。 キャ

竹久夢二展:生誕130年

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● 竹久 夢二 (たけひさ ゆめじ、 1884年 ( 明治 17年) 9月16日   -   1934年 ( 昭和 9年) 9月1日 )は 日本の 画家 ・ 詩人 。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。 数多くの 美人画 を残しており、その抒情的な作品は「 夢二式美人 」と呼ばれ、 大正ロマン を代表する画家で、「大正の 浮世絵師 」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の 挿絵 も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、なかでも、詩『 宵待草 』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の 装幀 、広告宣伝物、日用雑貨のほか、 浴衣 などの デザイン も手がけており、日本の近代 グラフィック・デザイン の草分けのひとりともいえる。 彼自身の独特な美意識による「夢二式美人画」と呼ばれる作品の多くは、 日本画 の技法で描かれ( 軸物 や 屏風 仕立てで遺る)、また、 洋画 ( キャンバス に 油彩 )技法による女性像や風景画ものこされている。好んでさまざまな表現形式を試みたが、むしろ、それらは後世になってから評価されたもので、当時の時点においては、印刷された書籍の表紙や広告美術などが多くの目に触れ、大衆人気というかたちで脚光を浴びたのであった。一時は中央 画壇 への憧れもあったようだが受け入れられず、終生、野にあって新しい美術のあり方を模索した。(WIKI) おとぎの国 日の出  日本の夜 秋のいこい 港屋店舗再現展示 ワイニマの桟橋 ●日本画中心の作品ですが、 数少ない油絵にきらめく才能を感じました! もっと油絵を描いてほしかったです。

チューリヒ美術館展:Kunsthaus  Zurich

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●チューリヒ美術館 後期 ゴシック やイタリア・ バロック 、 オランダ 絵画、 フランドル 絵画から 印象派 絵画、 表現主義 絵画まで所蔵している。また、 フェルディナンド・ホドラー などスイスの芸術家の作品のほか、 アルベルト・ジャコメッティ の彫刻72点をはじめとするコレクションも有名。 その他にも 素描 や 版画 、 写真 やビデオ作品のコレクションもある。(WIKI)  Max  Ernst 都市の全景 1935/36 ●月のリングが印象的に白く輝いています。 Edvard  Munch 冬の夜 1900 ●ムンクはやはりいいですね! Paul  Klee 狩人の木のもとで  1939 Paul  Klee Super-chess  1937 ●現物は1mを超えるおおきな作品でした。 私のテーブルにマウス・パッドとして収まっています。 マウス・パッド ●そしてジャコメッティの素敵な作品にもであいました!