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光琳と乾山:根津美術館

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尾形光琳(1658~1716)は、江戸時代のなかばに、日本美術における装飾の伝統を現代のデザインに伯仲する次元にまで高めた画家であり、意匠作家です。小袖の模様を思わせる図様を大画面に適用した「燕子花図屏風」は、そんな光琳の真骨頂を示す作品です。 一方、光琳の弟である乾山(1663~1743)は、やきものの世界に新風を巻き起こした陶芸家です。日本や中国、さらに西洋におよぶ様々なやきものを学びつつ、自らの趣味嗜好をも反映させた多彩な作品を世に送りだしました。乾山の存在により、陶工は芸術家になったと言えます。 本展覧会は、美術史上類まれな二人の芸術家兄弟において展開した豊かな造形、ときに相反し、ときに響き合う美の世界を展観し、そこにどのような美意識の交流があったのかを探り、ひいては光琳と乾山それぞれの魅力を見つめ直そうとするものです。(HP) 連休時期に恒例となっている琳派展を訪れました。 銹絵牡丹画角皿 銹絵柳文重香合 色絵夕顔文茶碗 尾形乾山 江戸時代 庭園 燕子花図屏風 尾形光琳 江戸時代 ●二人の天才が輝いていました! Helene  Grimaud

ジョルジュ・ブラック展:Georges Braque Metamorphoses

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キュビスムの創始者ジョルジュ・ブラック(1882-1963)は、20世紀初頭、ピカソとともに、対象物の立体的な全容を平面上に表現するために分割と再構成という手法で革新をもたらした重要な画家です。本展は、そのブラックが最晩年に取り組んだ「メタモルフォーシス」シリーズを日本で初めて本格的に紹介するものです。彼の最終的な目的であったすべての造形物の美化への挑戦の成果、つまり絵画や彫刻から始まり、ジュエリー、陶磁器などの装飾芸術に至る様々な形態の作品が出品されます。殊に、1963年、時のフランス文化大臣のアンドレ・マルローが「ブラック芸術の最高峰」と絶賛したジュエリーの数々においては、崇高なる彫刻ともいえるほどに、貴石や金属の美しさに魅了された画家の美への飽くなき追求が結実しています。 展覧会には、ブラックの最初期の風景画、分析的キュビスムやキュビスムから静物画への過渡期の作品など、画業の変遷をたどる少数の重要な絵画も加わり、ブラックが目指した造形の変容の過程をご覧いただけます。 作品の多くはフランスのサン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラック-メタモルフォーシス美術館より出品されます。(PDF) リトグラフ グワッシュ・紙 絵画から立体への変容 メタモルフォーシス ●ジュエリー・陶器などへの展開が楽しい コラボレーション!

Sarah Moon Photo Exhibition

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D`un  jour  a  L`autre  巡りゆく日々 : CHANEL  NEXUS ・・・・・・・ ●どんな音がふさわしいのか? サティ?

太宰府:観世音寺

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日本最古の梵鐘がある「西日本随一の寺院」 『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が、母君斉明天皇の冥福を祈るために発願されたもので、80年後の聖武天皇の天平18年(746年)に完成した。古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在は江戸時代初めに再建された講堂と金堂(県指定文化財)の二堂があるのみである。境内はクスの大樹に包まれ、紅葉、菩提樹、藤、アジサイ、南京ハゼと季節が静かに移る。 昭和34年(1959年)多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するため、国・県・財界の有志によって、堅固で正倉院風な周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫が建設された。 この中には平安時代から鎌倉時代にかけての仏像16体をはじめ、全て重要文化財の品々が収容されており、居並ぶ古い仏たちに盛時がしのばれる。西日本最高の仏教美術の殿堂のようで、特に5m前後の観音像がずらりと並んでいる様には圧倒される。また仏像の多くが樟材で造られたのも九州の特色といえる。(太宰府観光協会) ● 激しい雨の中、 太宰府観世音寺に向かいました。 十一面観音立像 吉祥天立像 ●素晴らしい仏像は、 京都から仏師を招いて制作。 冷たい雨が趣をいっそう深めてくれました。

博多:久太郎  2018・04・05

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Aさんのお祝いに、 全国から有志が集合しました。 おめでとうございます。 これからもよろしく。 気のおけない仲間と一緒で 気分の良い夜でした!

ルドン:秘密の花園

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●ルドンのグラン・ブーケは 当館所蔵なので何度か見ています。 しかし、16点の壁画の部分であることは 知りませんでした。 心地よく興味深い展示でした。 オディロン・ルドン ( Odilon Redon 、 1840年 4月20日 〈※異説では 4月22日 〉 -  1916年 7月6日 )は、 19世紀 後期から 20世紀 初期にかけて活動した フランス人 画家 である。 本名   Bertrand-Jean Redon (ベルトラン=ジャン・ルドン)。 ボルドー で生まれ、出生地および近郊の町で育つ。 《グラン・ブーケ(大きな花束)》は、ロベール・ド・ドムシー男爵(1862-1946)の城館を飾った16点の壁画のうちの1点です。1893年にルドンと面識を持った男爵は、城館の大食堂の壁面全体を覆う装飾をルドンに任せます。計画はネオ・ゴチック様式の食堂の壁面全体を覆う大規模なもので、ルドンは総計で36㎡を下らない巨大な壁面を、当初は18分割することを考えました。現在では16点の装飾画が残されています。 1年以上の制作期間を経て、16点の装飾はブルゴーニュ地方のヴェズレー近郊にある男爵の城館に運ばれ、設置されました。そしてその後は、人目に触れることが全くありませんでした。 しかし、16点のうち《グラン・ブーケ(大きな花束)》を除く15点の壁画は、1980年に日本で公開されました。そして1988年には“相続税の美術品による物納”制度によりフランス共和国が取得、現在ではオルセー美術館が収蔵しています。その後は装飾画の中心的な存在だった《グラン・ブーケ》のみが、男爵家の大食堂に残されたままでした。(HP) ドムシー城の食堂 A B C D ●パステルの定着を 不思議に思っていましたが、 デトランプに ヒントがあるようです。 デトランプ( 仏 :  détrempe )は、 膠 、 カゼイン 、 アラビアガム といった水溶性の固着剤を用いた絵具・塗料である 。多くは白色顔料と混ぜて不透明にし、室内装飾や 舞台美術 に用いられる。