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AUX BACCHANALES

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🟠  アトリエ日記によく出てくる、オーバカナルでランチです。 ただし銀座ではなく横浜です。 どんなお店か興味がわきました。 オニオングラタン カモのコンフィ セロリのスープ パンプキン クロックマダム レモンパイ 🟠 サンジェルマンの片隅にあるCafeのような、 おいしくて気さくなお店でした。

Celadon:青磁

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青磁とは、青磁釉を施した磁器 または炻器 のこと。 透明感のある青緑色の磁器で、紀元前14世紀頃の中国が起源とされる、後漢代に流行し以後次第に普及した。 製造技術は日本や高麗にも伝播した。 特徴的な青緑色は、釉薬や粘土に含まれる酸化第二鉄が、高温の還元焼成によって酸化第一鉄に変化する事で発色する。   ウィキペディア 青磁瓶 龍泉窯 中国 明時代 青磁はプレーンなものほど素敵です。 青磁壺 越州窯 中国 唐時代 今回、色々なカラーがあることを知りました。 🟠 バリエーションも楽しいです! 紫紅釉六角三足鉢 中国 明時代初期 青磁象嵌牡丹文梅瓶 朝鮮 高麗時代 朝鮮 高麗時代 青磁象嵌は初めて見ました。 素晴らしい技法です! 出光美術館:9Fより

HAPPY 龍YEAR:2024

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想像上の動物である「龍」は、古代中国で誕生しました。 天に昇り、雨を降らせるなど様々な力をもつとされ、強さや権力を象徴する龍は、吉祥図様として、東アジアの絵画をはじめ、数多くの工芸品に取り上げられています。 中国の「五行思想」※とも結びついた龍は、四神の中で東方を護る青龍となり、西方の白虎と“玉環”を取り合う図像も多く認められます。これは陽(東方)と陰(西方)のバランスが取れていることを示し、それにちなむ「龍虎図」がよく知られています。鳳凰と組み合わせて皇帝と皇后を象徴した「龍鳳図」、雲を従わせ天空を飛翔する「雲龍図」、波間に姿を現す「龍濤図」など、龍は多彩な姿で表され、人々に愛されてきました。(HP) 🟠 辰年にちなんだ龍づくしです。 色々な竜が現れる楽しい展示です! 鉄砂雲龍文壺:朝鮮時代 2024年・辰年正月の「静嘉堂@丸の内」

アトリエ日記:野見山暁治作品を読む

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🔵 全7冊読了。 2024・02・21 野見山作品には、日記以外にも各所で 金山康喜 の名前が連呼されています。 🔵 私が2015年葉山に 金山康喜のパリ展 をたずねた時点では、 1950年代初め二人が、 パリ・アパルトマンの 同じ屋根の下で 暮らしていたという 関係性は全く知りませんでした。 🔵 いつもは開かない図録を眺めています! この図録に寄せられた名文は カナヤマを思いやり、 しみじみと心を打つものがあります! 🟠 カナヤマ:野見山曉治 金山康喜 とはパリで会った。 小学校の級長みたいな利発な顔をした 小柄な男だ。 紹介された時もそうだが、 同じメゾン・デュ・ジャポン(日本留学生会館)で 暮らすようになっても、 カナヤマはぼくの顔を見なかった。 いつも素知らぬ風に通りすぎる。 (図録より:以下略) 🟠 独りぼつちの若者 もう長いこと、カナヤマの 遺作展をぼくは夢見ている。 いい絵かどうかは知らん。 ただ多くの人に見せたいとだけ 思い続けてきた。 (みんな忘れたより:以下略) 🟠 パリの友人:金山康喜 いつも その部屋は閉ざされていた。 誰かがその部屋の前を通るのを その部屋の主は 足音が消えてゆくのを ドアの内側から 息をこらして 聞いていたのに 違いない。 (四百字のデッサン:以下略) 🟠 パリ・キュリイ病院 一時、旅行のつもりで帰国した初山は、 まるで客死みたいに故国で あっけなく果て、 1964年 私はパリを去った。 (初山として登場:あとがきより以下略) 🟠 やっぱりアトリエ日記 ぼくの個展。 会場で暫くぶりに、 金山康喜の妹さん夫妻。 ぼくはこの御二人に会うと、 妙に感傷的になる。 なんで金山は死んだんだろうと。 (2012年) 🟠 いい絵描きだった。 画面は虚構の、 きらびやかさに満ちていた。 (2012年) 🟠 じわりとアトリエ日記 電車とタクシーを乗りついで、 葉山の美術館に昼近く着く。 「金山康喜のパリ = 1950年代の日本人画家たち」 ぼくは午後から講演したが、 出品者のなかの、 唯一の生存者だ。 (2015年) 🟠 いくつかの著作を読み 二人のドラマチックな つながりを理解しました。 🟠 2015年当時の私のBLOGには 金山ブルーに魅せられて 会場を3回遊したと記されています! それ以前も以降も この記録は破...

Happy New Year:2024

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  🔵 今年もよろしくおねがいします。 KEITH JARRETT SUN BEAR CONCERT PIANO SOLO KYOTO OSAKA NAGOYA TOKYO SAPPORO ENCORES KYOTO から旅をします! Sun Bear Concerts  is a live box set by American jazz pianist  Keith Jarrett  compiling five solo piano concerts performed over two weeks during his November 1976 tour in Japan and released on  ECM  in January 1978.(WIKI) ・・・・・・・・・・・・・・・ 浅間神社

倉俣史朗のデザイン:記憶のなかの小宇宙

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🔵ミス・ブランチをさがして、世田谷美術館を訪れました。 いつか出会いたいなと思っていました。 TOKYO :1983 ハウ・ハイ・ザ・ムーン ミス・ブランチ 欲望という名の電車 からのネーミング ヴィヴィアン・リー=ブランチ・デュボア 光の椅子 ブルーシャンパン アクリルサイドテーブル 🔵他に類を見ない独創性と先端性、 透明感があり宇宙に浮くような素材感。 ユニークでお洒落な作品ネーミング。 愛蔵版レコードには、 キース・ジャレットも 展示されていました。 SUN BEAR CONCERT 私も聞いてみようと思います! 砧公園 造花の薔薇を透明アクリル樹脂に封じ込めた「椅子」、板ガラスを組み合わせただけの「椅子」、 大きさを少しずつ変えて格子状に49個並ぶ「引出し」、7本の針を持つ「時計」。 一目見た時に驚きがあり、そして笑みがこぼれ、しばらくして、 その機能がきちんと保持されていることに気づきます。 倉俣史朗(1934-1991)は、このような一風変わった家具と数多くの特色あるインテリアデザインを手掛けました。1965年に独立し自身の事務所を構え、同時代の美術家たちとも交流をしつつ、機能性や見た目の形状に主眼を置いたデザインとは異なった考え方をした作品を発表し続けます。1980年代にはイタリアのデザイン運動「メンフィス」に参加し、その名は一躍世界中に浸透していきました。倉俣の作品は各国の美術館に収蔵されており、今なお国内外で高い評価を受けています。 没後30年を経て開催する本展覧会では、家具やインテリアの仕事に加えて、創作の源泉を垣間見せるかのようなイメージスケッチや夢日記も紹介し、倉俣語録とも言われた作家自身の言葉を手がかりに、独立する以前からあまりにも早すぎる死までを振り返ります。倉俣史朗の作品とその人物像に新たな視線を向けることは、デザインの可能性を再認識する機会ともなるでしょう。(HP)